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時代錯誤

六本木ヒルズは時代錯誤な施設である
時代感覚とのズレがある
これは事実でだ

別段六本木ヒルズを悪くいってるわけじゃない
にもかかわらず 私はヒルズに遊びにいくのだから
時代錯誤は 割り切ってしまえれば楽しい

ここで一つ 疑問がある

六本木ヒルズは「今」あるから時代錯誤なのか?
それとも六本木ヒルズ的なモノは「常に」時代錯誤なモノとしてしか存在しえないのか?

「時代錯誤」な「最先端」に対する需要はいつの時代も存在するのだろうか?
それに関わっている人たちの自覚はどの程度なのだろう?

嘲笑の眼差しと軽い吐き気としかめっ面を
まさか羨望の裏返しと受け取っているわけではないだろうけど
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by antliondiary | 2005-07-28 09:56

トマソン

トマソンという概念を知った。
トマソンとは「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」のこと。
赤瀬川原平氏による定義。

役割を失ったまま残されている階段 "純粋階段"
"役立たないものの美"
そして、使われていない小屋の美しさ。

下に書いた無意味な階段。これはきっとトマソン。
葉蔵が停車場のブリッジの実用性に気がついたとたん興が覚めた、失望してしまったのは
それがトマソンではなかったことによる落胆といえそうです。

中村好文氏が著書「普段着の住宅術」の中で述べている
「偶々残された一枚の壁に魅了されること」も、トマソン。

坂田和実氏がよくいう、
「実用のために生み出されたものが、実用から開放された清々しさ」。
これもトマソン。

村上春樹の短編「納屋を焼く」に出てくる
「誰からも振り向かれない、気がつかれない、燃やされても気にかけられないであろう納屋」に魅了される男。
この男が惹かれているのもトマソン。

役割から自由になった建築物。トマソン。
便利な言葉を知った。
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by antliondiary | 2005-07-24 21:29

理想の車

色はカーキ、ベージュ、オリーブグリーン、チャコールグレー、水色のどれか。
ベージュは秋のススキ畑と調和する色。
水色は曇り空と調和する色。
その車が走るだけで寂しい風景が美しく見えてくる瞬間があればいい。

パールの入った塗料なんか絶対に使ってなくて、できればつや消しがいい。
雨ざらしで、ほこりが積もって泥がはねて、かっこよくなるタイプ。

形はカクカク四角いのがいい。
昔のビートルみたいなぐにょんぐにょんと丸いのもいいけど
たぶん飽きないのは四角いの。
昔のセドリックとか好きかな。
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by antliondiary | 2005-07-24 17:02

都市美

「都市美」という本を買った。西村幸夫氏編著。
序説で、“自然の美も都市の美も「発見」されるものだ”という主張があり
その実例として16世紀から17世紀にかけてのオランダ風景画が挙げられていたので
期待して買ってしまった。
「見られるものとしての都市」の発見の歴史をひもといてくれる本かと早合点してしまったのだ。
結果はちょっと期待はずれ。バラバラに書かれた論文の寄せ集めみたい。

目次

序説 都市美の思想史 
第1章 イタリアの都市美ルネサンス 
第2章 フランスの「都市の美化」理念の萌芽と発展 
第3章 フランスの都市美保全施策の誕生と昇華 
第4章 ドイツの国土美化と郷土保護思想 
第5章 ドイツの都市条例 
第6章 イギリス田園都市の都市美思想とアメニティ 
第7章 ベルギーの都市美運動 
第8章 スペインの都市美思潮とバルセロナでの展開 
第9章 アメリカのシティ・ビューティフル運動 
第10章 アメリカの建築条例の起源と都市美 
第11章 アメリカのニューアーバニズムが創造する都市美理念 
第12章 日本の都市美運動 
第13章 日本における風景認識の変遷 
第14章 日本における都市美創出のこころみ

ひとつひとつは興味あるテーマなんだけど文章がかたくて読みにくい。
「読んでください」って文章じゃない。
だからほとんど読んでない。いつか読むかもしれないけど。

唯一興味深く読めたのが "第13章 日本における風景認識の変遷" 下村彰男氏の書いたところ。

ちょっと引用。
"人々の暮らしをを感じさせる生活景の美しさ(魅力)は、人為の加わってない原生自然の風景のそれとは性格が大きく異なっている。後者の美しさが、風景の視覚像自身のスケールや形態の中に資源性を見出すものであるのに対し、日頃見慣れてる生活景の美しさとは、風景の視覚像そのものではなく、後述するように、風景を支える人々の暮らしと地域の環境との良好さの中に見ているのではないか。(p228)"

日本における生活景の美しさが最近「発見」されてきている。という文脈での文章です。
その具体例として、農山村や下町の写真集が売れていることを挙げている。

いい指摘だと思うんだけど、時代はもっと進んでるんじゃないかな。
下町とか農村みたいな「あったかい」風景だけじゃなくて、
「つめたい」都会の風景だって「カッコイー」って評価する動きが出てるんじゃないのかな。

その例として思い浮かぶのが
ホンマタカシ氏が撮った「ニュートーキョースタンダード」という写真集。
2002年11月のSTUDIO VOICE誌の「東京100景」特集。
流行通信でもたしか「東京を撮る」みたいな連載やてたし、
東京に代表される「都会」を被写体として再評価しようっていう動きは確実にあると思うし
そういう「今ある」「今実際に生活している」風景に美を見出すこと、美を主張することが
日本の都市を美しくしていく上で重要だと思う。

西欧先進諸国とか言ってちゃ古いんですよ。
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by antliondiary | 2005-07-23 22:05

島田雅彦とのわかれ

昔好きだった本を読み返している。
主に中学生の頃に没頭していた世界。

そのいくつかを自分が受け入れなくなったことに気がついて唖然とした。

その一つが島田雅彦。
手元にある本は「預言者の名前」と「未確認尾行物体」

断片的には面白いんだけど、どうも入り込めない。
とげとげした文章が痛々しくて辛い。
人を食ったような文章は繊細な内面に土足で踏み込まれない為の鎧。

反抗期。
青二才。
ただ、ただ、若かった。島田雅彦と私。

感傷的になってしまったけど、島田雅彦について的確な批評を見つけたので引用します。
http://www.i-nexus.org/gazette/cross/cross007.html
ここから。

<かつての青二才は結婚し、 子供を持ったただのオヤジになってしまった。刺激的な作品を発表することも 無く、趣味人としてメディアに登場し、「君たち馬鹿な大衆はこの程度の知識 でもありがたがるでしょう」といわんばかりの貧しい蘊蓄を語り、やたらいく つもの文学賞の選考委員を兼ねる文壇政治家となった。>

そうなんです。今の彼はいいお父ちゃんになってしまった。
自らの才能にはさっさと見切りをつけ、新聞で何の害もない連載を持てる大人になった。
世俗的な栄誉を求める人間くさい人。

立派、だと思う。非難はできない。
とんがってた仲間が良識ある社会人になった。
喜ばしいことだ。一抹の寂しさはあるけど。

私も、もう、とげとげしてるわけにもいかない。
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by antliondiary | 2005-07-23 09:32

階段  リズム

たたたっ
ととっととっととっ
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by antliondiary | 2005-07-03 11:12

階段の遊戯性について

“恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、それは停車場の構内を外国の遊技場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるためのすこぶる実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。”

太宰治の「人間失格」の「第一の手記」の冒頭部分です。
ずっと気になっていた文章ですが、ルイス・バラガンの、手摺りのついていない美しい階段と、ロバート・ベンチューリの「どこにも続いていない階段」の写真を眺めていたら、気になっていたいた理由がなんとなくわかったような気がしました。

バラガンは、上り下りに「緊張感を要する階段」を“人の気分を替える効果的な空間の変換装置”*と考えていたそうです。

ベンチューリの壁に向かって掛けられた階段の意味は知りません。
でもその「無意味さ」が好きです。
「これでいいんだー」って思えてきます。

太宰は、この無意味な階段を必要としていたように思います。
この階段(もしくわそのようなもの)を知ったら少しは救われたのではないでしょうか?
階段は実用だけでなくてもいいのです。
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by antliondiary | 2005-07-01 22:32