昔好きだった本を読み返している。
主に中学生の頃に没頭していた世界。 そのいくつかを自分が受け入れなくなったことに気がついて唖然とした。 その一つが島田雅彦。 手元にある本は「預言者の名前」と「未確認尾行物体」 断片的には面白いんだけど、どうも入り込めない。 とげとげした文章が痛々しくて辛い。 人を食ったような文章は繊細な内面に土足で踏み込まれない為の鎧。 反抗期。 青二才。 ただ、ただ、若かった。島田雅彦と私。 感傷的になってしまったけど、島田雅彦について的確な批評を見つけたので引用します。 http://www.i-nexus.org/gazette/cross/cross007.html ここから。 <かつての青二才は結婚し、 子供を持ったただのオヤジになってしまった。刺激的な作品を発表することも 無く、趣味人としてメディアに登場し、「君たち馬鹿な大衆はこの程度の知識 でもありがたがるでしょう」といわんばかりの貧しい蘊蓄を語り、やたらいく つもの文学賞の選考委員を兼ねる文壇政治家となった。> そうなんです。今の彼はいいお父ちゃんになってしまった。 自らの才能にはさっさと見切りをつけ、新聞で何の害もない連載を持てる大人になった。 世俗的な栄誉を求める人間くさい人。 立派、だと思う。非難はできない。 とんがってた仲間が良識ある社会人になった。 喜ばしいことだ。一抹の寂しさはあるけど。 私も、もう、とげとげしてるわけにもいかない。 #
by antliondiary
| 2005-07-23 09:32
“恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、それは停車場の構内を外国の遊技場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるためのすこぶる実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。” 太宰治の「人間失格」の「第一の手記」の冒頭部分です。 ずっと気になっていた文章ですが、ルイス・バラガンの、手摺りのついていない美しい階段と、ロバート・ベンチューリの「どこにも続いていない階段」の写真を眺めていたら、気になっていたいた理由がなんとなくわかったような気がしました。 バラガンは、上り下りに「緊張感を要する階段」を“人の気分を替える効果的な空間の変換装置”*と考えていたそうです。 ベンチューリの壁に向かって掛けられた階段の意味は知りません。 でもその「無意味さ」が好きです。 「これでいいんだー」って思えてきます。 太宰は、この無意味な階段を必要としていたように思います。 この階段(もしくわそのようなもの)を知ったら少しは救われたのではないでしょうか? 階段は実用だけでなくてもいいのです。 #
by antliondiary
| 2005-07-01 22:32
オウム真理教の事件からもう10年たっている。それ以上か。
あの頃の異様な空気、熱狂、非難、好奇の視線。 「ああ言えばじょーゆー」なんて言葉が流行語になった。 “バカそうな質問を繰り返すマスコミのバカさ加減” を露呈させるじょーゆーの弁舌に快感を覚えながらも マスコミの策略にまんまとはまっている自分に嫌悪感を感じていた。 そんな時代を思い出した。 様々な言説が飛び交う中、一際私の印象に残っている二人の方のことを書きたい。 フランソワーズ・モレシャンさんと五十嵐太郎さん。 モレシャンさんはファッション関係の方。ファッションエッセイストというのだろうか。 そのモレシャンが、何かの番組でオウム真理教について意見を求められたとき 「あの衣装はとても機能的で美しいと思います。」 と、一言ご自分の専門分野に関してのみコメントを残していた。 きっぱりとした態度で、爽やかな風が吹いたように感じたのを覚えている。 建築評論家の五十嵐さんは「新宗教と巨大建築」という著書の中で 「オウム真理教の建築物(サティアン)の素っ気無さ、殺風景さは 建物の美しさによる権威付けを必要としていない宗教であることを現している」 といった主旨のことを書いていた。 サティアンの「非人間性」を巡る言説が主流だった中、的を射た適切な指摘だったと思う。 私はこの二人のような視点を持てる人になりたいと思う。 何もオウムのやった事を擁護したいのではない。 何か大事件が起きたときに“坊主憎けりゃ袈裟まで憎し”的な感覚に陥らず 評価できる事をきちんと評価し、自分の専門外の発言を無闇にしない。 こんな態度を見習いたいし、忘れたくないと思う。 #
by antliondiary
| 2005-06-30 14:36
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